混乱した状況の中でこそ意識は覚醒する

社会の動きを見ていると、大変な時代が来てしまったなあという感慨を持たざるを得ない。

経済的な面から見ると、所得の格差がどんどん広がっていることと、これからますます歳をとっても働き続けなければならない状況が進んでいることがある。

私は小・中学校と高校にスクールカウンセラーとして勤務しているが、貧困家庭は増加の一途であり、ことに母子家庭は厳しい状況のところが多い。

また年金などの社会保障があまり当てにならなくなってきているのはもう誰の目にも明らかで、この先一体いつまで働かなければならないのかわからない状況である。

こうした社会変化の要因としては、技術革新のさらなる加速、経済のグローバル化の進展、急速な少子高齢化などが挙げられるだろう。

国の指導者層であるはずの政治家や官僚は、かなりあからさまに国民の面倒を見る気があまりないことを表明し始めており、「自助努力」の大切さを強調することが多くなってきている。

国の中枢部の人たちは国民の面倒を見る気がないということを痛切に意識させられたのは、2011年の東日本大震災とそれに続く福島原発事故だった。

その時私たちが見せられたのは、筒井康隆のドタバタSFも真っ青の壮絶な自己保身と責任のなすりつけ合いだった。

戦後の平和な時代に育った者たちは、なんとなく政府中枢のエリートたちはしっかり国民のことを考えて働いてくれていると信じていたのではなかろうか。

それは政府に批判的な人たちであっても同様なところがあり、もともと日本人は「お上」に対する信頼が国民意識のベースにあったと思われる。

それがあったから日本は比較的安全で平穏な社会を築いてきたのであり、大震災時の秩序だった行動で世界を驚嘆させたのである。

その信頼が、原発事故処理などのあまりのずさんさを見て、地に堕ちてしまったと言えるだろう。

その後次々に政権中枢がまともでないことをやっていることが発覚し続けており、芸能界のゴシップやオリンピックのニュースなどマスコミ情報の目くらましではなく現実社会の動きを追っている人たちは、社会に暗たんたる思いを抱いている状況だ。

本来国民のために奉仕すべき政治家や高級官僚、経済をリードする大企業のエリートたちが「今だけ、金だけ、自分だけ」という風潮の中で、ひたすら私腹を肥やす事と自己保身に走っている状況は無論嘆かわしいことである。

けれどもそういう社会構造を成立させているのは我々一人一人の意識であり、要は自分が同じような立場に立てばきっと彼らと似たようなことをしてしまう程度の意識レベルの人間がほとんどだということだ。

過去にはあまり見えてこなかった政府中枢の動きがある程度わかるようになってきたのは、インターネットの普及がなんといっても大きいだろう。

もちろんインターネットを通じて発信される多くのデマを含いろいろな情報や意見が発信されることによって、様々な混乱が生まれているのも事実である。

しかし為政者が情報を完全にコントロールすることは不可能となってしまったのは間違いない。

このような混沌とした状況の中に立たされて、多くの人は混乱、悲嘆、絶望を感じているだろう。

あと10年も経てば後期高齢者がものすごい数となり、まともに頭を働かせれば国全体が姨捨山のような状況になってしまうことは免れないと考える人がいて当然だろう。

こうした状況を悲劇と捉えるべきだろうか?

ここで20世紀前半に活躍した神秘家グルジェフの主張を紹介したい。

グルジェフによると、人間は普段は機械のようなもので、日々起こることに無意識に反応しているだけで、そこには何の自覚もない。

戦争や社会の混乱などの異常事態が発生することで、日常眠っている我々の真の自己が強烈な刺激によって覚醒すると言うのである。

安易な状況の中では、本来的に相当怠け者である私たちは目覚めようとしないというのはその通りだと思う。

本当に本気を出して意識を覚醒させなければ生き残れないような時代が、もう否も応もなくやって来てしまったのだ。

だとすれば、今自分が置かれている状況を覚醒のための千載一遇のチャンスと捉え、全人間力を使って生き抜こうとする意志と姿勢こそが大切だと思うのである。

とはいえ辛い状況に直面すれば、人間落ち込んだり絶望したりすることもある。

だから必死に知恵を絞って「面白く働く」工夫をすることで、人々に希望を与えるモデルとなる人たちが増えていくことが必要なのだ。

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