私と仕事の関わり(2)

生活のためにサラリーマンを続けていたが、心理療法家の夢を捨てきれず、30代に入ってから会社をやめて大学院でカウンセリングを学ぶことを決断した。

臨床心理士になるためには大学院で修士を取る必要があったが、どうせ大学院に入るなら一度は外国暮らしをしてみたいと思い、アメリカの大学院に入学することに決めた。

一流の有名な臨床家達は留学経験者が多く、今思うに恥ずかしい限りであるが、箔がついてなんかかっこいいのではないかと当時思ったのである。でもそれは大いなる勘違いで、留学したためにとんでもない苦労をすることになるのである。

英語の勉強をある程度本格的に開始したのは30代に入ってからで、発音の面を考えると留学はとても厳しい状況にあることが当時はわからなかった。

英会話は基本的にラジオで学んだが、英会話学校にもちょっと通ってみたところ自分の英語も結構通じたので、留学しても何とかなるのではないかと思っていた。

でもそれは大きな勘違いで、実際にアメリカに行ってみるとあまりに自分の英語が通じないので愕然とすることになる。

日本の英会話学校にいる外人の先生たちは、日本人のカタカナ英語を理解できる特殊技能の持ち主たちであって、彼らに自分の英語が通じたからといってアメリカでも通用するわけではなかったのである。

実際にアメリカに行ってみて、ごく基本的な単語であってもアメリカ人に全然通じないことに愕然とした。

私が専攻したのは臨床心理学だったので、コミニケーションが基本であるから英会話ができる事は極めて重要な要素だった。

会社は既に辞めてしまっていたので、もう引き返すことができず、「もし卒業できなかったら破滅」という思いが常に頭にチラついていた。

こうした背水の陣のような状況の中で、改めて自分自身のメンタルの弱さを痛感することとなった。

臨床心理学の中では精神病理学が大きな部分を占めるが、大学院生としてそうした文献を読みながら、今現在自分の中で起こっている精神症状がその中で述べられていることに当てはまることが多々あった。

それでも何とか大学院を卒業できたのは、アメリカ人の友人たちのサポートがあったからである。

多くのアメリカ人の人たちは、一人暮らしの孤独な留学生に同情してくれて本当に親切にしてくれる人が多かった。彼らの支えがなければ、本当にどうなっていたかわからない。

でもだんだんに、コミニケーションと言うのは英会話の技術も大切であるが、心と心の交流の部分がとても大きいことがわかってきた。

文法やボキャブラリーを頭で覚えようとするよりも、表情や身振り手振りを使ってでもなんとか心のコミニケーションを図ろうとすることの方が、英会話に習熟する上でより重要であることがわかった。

だんだん友人ができてくるうちに、「これなら何とか卒業できるかもしれない」と思うようになってきた。

留学生活は自分にとって精神的にとても大変だったが、悲惨な状況の中で見えてくるものも多かったと思う。

自分の本質というのは、危機的な状況の中でこそ明らかにされるものではないかと思う。

余裕のあるときは、自分自身についていくらでも甘い幻想を抱けるかもしれない。

しかし本当にその人の真価が問われるのは、危機的状況の中でどのくらい実力を発揮できるかであると思う。

何とか大学院修士課程を修了し、その後サンフランシスコの依存症治療専門機関で1年間インターンを経験した後日本に帰国した。

帰国後も決して平坦な道のりではなかったが、何とかここまで仕事をしてくることができた。

自分の留学体験は決してかっこいいものではなかったが、今思い返してみて得られたものも大きかったのだと思う。

一番大きかった事は、自分が一体どのようなパーソナリティーであるかとことが、危機体験を通してかなり明確になったことである。

「敵を知り己を知れば百戦危うからず」と言う言葉があるが、自分の特徴や特質を極力幻想を排除して見ることができることは、自分の人生を切り開いていく上でものすごく役に立つことのである。

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